過剰なブログ

あなたの役に立てば嬉しい

毒親の正体と誕生日ケーキ

私の母親は発達障害だったのではないか。
近年になってからそう思い始めた。

私はどこに出しても恥ずかしくないAC(アダルトチルドレン)、機能不全家庭で育った心は子ども、見た目は大人な毒親育ちである。
毒親とは毒になる親という意味で、私の親はまさに毒だった。
家を出て12年になるが、その毒は消えることなく常に私を蝕んでいる。
そんな話をブログにも書かせていただきたい。
不特定多数の方に読んでいただけるところにメッセージボトルのように流すことで癒される傷もあるのです。
お目汚しにも程があるので抵抗のある方は引き返してください。
お手数をおかけいたします。








先日ようやく『毒になる親』を読み終えたので、

毒になる親

毒になる親

前から読みたかった『毒親の正体』を読んでいるところ。

この本では毒親の正体の多くが発達障害なのではという話が載っており、私には思い当たる節が多すぎて胸が痛く、数ページごとに休みをとりながら読んでいる。
今も、読みながらフラッシュバックのように昔のことが思い出され、胸が痛み、苦しくなったところでブログに逃げてきた。

「他人のことにはやたらと気を遣うのに自分の子どもには何の気も遣わない、というタイプの親は、 AD H Dの可能性が高いです。それは、「他人に気を遣わなければ」ということで脳内の「注意の部屋」がいっぱいになってしまっていて、例えば子どもから言われた「私のことも考えてね」というメッセージなどがすっぽり抜けてしまうからなのです。」

—『「毒親」の正体―精神科医の診察室から―(新潮新書)』水島広子
https://a.co/3cl61tl


その時の私は中学生だったと思う。
母親は誕生日プレゼントを買ってくれる人ではなく、
まして誕生日を祝ってくれるような人ではなかった。
友達の誕生日会に呼ばれた時、手作りケーキを次々持ってくる友達の母親を見たときは信じられなかった。
流石にそこまでを期待はしないが、おめでとうと言ってケーキやプレゼントを用意して欲しかった。生を肯定して欲しかった。
そんなことを母にできるはずもないので
「誕生日はケーキだけ用意してくれたらいいから。白い、ホールのやつ」と伝えた。
母は「はいはい」
と言っていた気がする。

そうして迎えた誕生日。学校帰りだったと思う。
友達をたくさん呼べる家でもないし、私にはその友人さえ祝ってくれれば十分だったから家に招いた。
プレゼントとか要らないから一緒にケーキを食べて欲しかった。
家族は祝ってくれないけど、友人に祝って欲しかった。

家にその子が来るなり、ソファに座っていた母はその子に質問をし続けた。
「○○ちゃん久しぶりね」
「お元気だった?」
「学校はどう?」
「部活はどう?」
「お母さんはどう?」

そんなこと私には聞いてくれないじゃないか。
母は無理しているように感じた。
いつも心のこもらないうわずった喋り方をする人だったが、友人が当たり障りなく笑顔で返事を終えるたび、「そうなの」とあまり興味なさそうな返事をした後、少し考え、また質問をし始める。
母なりに来客に話をしてもてなしているつもりなのかもしれないが、この友人は私の招いた客であり、今から中学生同士のお喋りを楽しむところだというところにはまったく気がつかない。
私は全く友人と話す隙がなかった。
普段家族の会話などない我が家だからなのか、友人が笑顔で返答してくれたことに心が満たされた母親は少し満足した様子で席を立った。
ようやく邪魔者が居なくなった、母がしつこくてごめんね、と思いながら友人に向き合っていると
テーブルに座っている友人の目の前に、ご褒美と言わんばかりのおやつが出された。
1人分に切られた私の誕生日ケーキだった。






我が目を疑った。嘘だといいと思った。
そうだ、母さんは切る手間を省いてくれたんだ。誕生日ケーキを切って出してくれたんだ。本当はろうそくを立てて歌を歌いながら消したかったけど、そういう気が利く人じゃないし、仕方がない。
もう一つ、私のケーキも来るはずだ。

そう思って待ってみたが、母はそのままソファに座り直し、ニコニコしながら友人を見ていた。
自分に対して笑顔で話しかけてくれる他所の子、その子の方が娘より大切なんだと、思い知った。

「もちろん、悪気などありません。しかし当然のことですが、これは子どもに対して、「あなたよりも他の人の方が大切」という暗黙のメッセージを与えることになります。」

—『「毒親」の正体―精神科医の診察室から―(新潮新書)』水島広子
https://a.co/16rkB3g

このエピソードを以前カウンセラーさんに話したら、普段は聞き役に徹してメモを取り続けるカウンセラーさんが、ペンを留めて
「それはお母さんが悪い。お母さんが悪いよ。辛かったね。悲しかったね。」
と言ってくれた。
そうか、これは辛い思い出だったんだ。悲しい思い出だったんだ。とその言葉で初めて、その出来事の衝撃と映像に「悲しい」のレッテルを貼ることができた。


この事件の時、友人はいろいろ察したのか
「あ、じゃあイブキの分は私が切ってきてあげるよ」
って言って立ち上がった。
しばらく時が止まっていた私も
「あ、そう?じゃあお言葉に甘えてお願いしようかなwww」
とはぐらかすことができた。


母も友人も私の誕生日ケーキを切ったが
その友人とは今でも連絡を取り合っている。
母とは絶縁している。



最後までお読みくださり有り難うございました。
辛い思い出でしたが、あなたが読んでくださったおかげで少し苦しみも和らぎました。