過剰なブログ

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「〇〇女子」はもうやめにしませんか。

読売新聞オンラインが美術館女子という言葉をタイトルに使った記事を書いて様々な声がSNS上で上がっている。

私もTwitter上でこのように投稿させていただいた。


例えば私はリケジョなんですよ。理系なんです。
リケジョって言葉が小保方さんのおかげで流行った時は
「お!とうとう流行りの呼び名がついたぞ!」
と思ったし周りにも
「ほら、私リケジョ(笑)だからさー(笑)」
なんて言ってた。
今思えば女性軽視のキャッチコピーをよくも惜しげもなく自分に使えたもんだと思う。
「私理系だから」
で全然良かった。

リケジョを使わない理由も大きくあるわけではない。
けど、
文系男子に「イブキさんってリケジョだよね」って言われるのはいい。文系女子に言われるのもいい。
でも理系男子に「イブキさんってリケジョだよね」って言われたら腹が立つ。
え、あなたと私は対等ですけど?って思う。

私は理系が好きだし理系である自分が好き。
そこに女子かどうかなんて関係ないし例え男に生まれていても理系の道に進んだと思う。
見た目が女な姿で暮らしてるのに、わざわざ「私理系の女子なんだよね」なんていう必要ない。「理系なんだよね」でいい。

「女子」ってわざわざつけるほど私はキラキラ系女子でない。
じゃあ例えば私がキラキラ系女子だとする。そんな人が実在するのかはわからないが、いわゆる世間とか漫画とかで言われてるキラキラ系女子だとしようじゃないか。
髪型もメイクも服装もネイルバッチリ決めてる。研究室に行くのにもおしゃれを欠かしません!って人だったとする。
それで私は自分を
「私、理系の女子なので」って言う?
理系の男性たちに「流石理系の女子だね」なんて言われて喜ぶ?
そんなの全然笑えない。女子(笑)扱いされるためにおしゃれしてるんじゃない。

リケジョにせよ
歴女にせよ
刀剣女子にせよ
美術館女子にせよ
〇〇女子と言う言い方には女性軽視が含まれている。

「女子なのに〇〇に詳しくて/興味があってすごいね」
そんな気持ちが含まれている。
「女の子なのにすごいね」
「男の子なのにすごいね」
そんな言葉を言われてモヤモヤしたことはないだろうか。
その言葉の裏には
「女の子なのに〇〇でないなんて」
「男の子なのに〇〇でないなんて」
そんな偏見が含まれていることにお気づきだろうか。

この「〇〇女子」と言う言葉には
男尊女卑/女性軽視の意味ともう一つ、
少数派への差別も含まれていると私は思う。

「女性なのに〇〇だなんて珍しいね」
そんな意図を感じる。

私が中学3年生の時、親友が近所のおじさんにどこの高校に行くのかと聞かれたらしい。
「△△高校に行きたいです」
「おやまぁ、あそこは難しいところだよ」
「兄と同じく△△高校に入って、理系に進みたいんです」
「えぇぇ…女の子なのに理系に進むなんて、珍しいね」

なんて会話をしたらしい。そのおじさんの悪気のない言葉が今も私の心にくすぶっている。おそらく親友もなんとなく割り切れない想いがあったからこそ同じく理系を目指す私に伝えてくれたのではないかと思う。
この歳になって思うのは
「知らんがな」
である。
そんなことこっちに言われても困る。「メズラシイネー」「ネー」ってのはそう思う人たちで言ってくれ。
私は1人で、その1人が理系に進むって言ってるんだから1/1、100%なんだから多数も少数もないんだよ。

思えばマイノリティ(少数派)に苦しんできた人生だった。
小学6年生の時囲碁将棋部に入った。女子1人だからという理由でまともに相手してもらえなかった。
天然パーマだったから学校で仲間外れにされた。
研究室でも女子1人だったので扱いにくいと煙たがられた。

人は少数派がいると排除しようとするものらしい。
それでも排除せずに受け入れようとする条件は、迎える大多数にとって「従順」であることなのだろうと思う。

「女子だから囲碁も将棋も苦手なんだけど、よかったら教えてね」
「私の髪……そんなに変かな……?みんなと違うの気にしてるのに……」
「女子1人でごめんなさいね、皆さんの足でまといにならないようにがんばりますね!」

とでも言っていれば受け入れられたのだろうか。
書いているだけで吐き気がしそうだったのだが。
これらの言葉や態度で受け入れられると思われてはマジョリティ(多数側)もいい気はしないと思うが。

この「従順」の代名詞として「女子」が使われている気がしてならないのだ。

自分たちマジョリティのフィールドに入りたいのであれば、慎ましやかで従順な女子ならば受け入れてやるぞ、といった驕りが透けて見える気がするのだ。

もちろん新しい分野に入るのであれば誰でも先駆者たちには礼儀を払うものである。
ただ先輩側の意見に
「えぇ〜知りませんでした〜勉強になります〜⭐︎」
というのが礼儀とは私は思わない。
「ありがとうございます。でも私はこうしたいのです」
と言う意見を求めていないのが「〇〇女子」を欲しがる側だと思う。


ちなみにこれは男女逆でも同じである。
例えば私が料理教室に通っていたとする。大人の女性が多いところだとする。
そこに若い男性が入ってきたとする。
「料理男子だね!」
と、言ってしまいそうにならないだろうか。
このブログを書く前の私なら言っていたかもしれない。
それで聞かれてもないのにあーだこーだアドバイスをして相手の社交辞令の「ありがとうございます」に幸せを感じたりしたかもしれない。

大変に危険だ。このハラスメントの名前を私はまだ知らない。
先程Twitterに書いた
異性に恋愛/出会い/セクハラ/マウント目的で相手に関わることをここでは
「おちょくり」と呼ばせていただきたい。

知識の乏しいであろう異性に対しておちょくってはならない。これは私の自戒である。

だってさっきの料理教室のシチュエーションで相手が若い女の子だったらこんなことしなかったと思う。
「料理女子だね」
なんて言わないし、
「よろしくね、分からないことがあったら聞いてね」
って言って、困ってる時だけ手を差し伸べたと思う。
「ありがとうございました」
と言われて感じる満足感、達成感は男性の時のそれと質が同じとは言い切れない自分がいる。
相手が自分より未熟な異性だからと言っておちょくって自分の小さな自尊心を満たしてはいけない。


どうか、「〇〇女子」なんてレッテルを貼って女性をおちょくらないでいただきたい。
私も男性をおちょくらないようにするから。

女性の参入が少なくて困っているなら、おちょくられない環境を用意して欲しい。
女性限定〇〇ツアーとか。
女性貸し切り日とか。

もちろん「女性をおちょくってはいけませんよ」というアナウンスが周知されるならそれがベストだと思う。
それが難しいなら、ゾーニングを。